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テドロス事務局長とEBM

WHOのテドロス事務局長をご存知でしょうか。今、間違いなく世界で一番難しい仕事をしている人でしょう。ただWHOのスタンスに懐疑的な目を向ける人も多いと聞きます。私も友人たちから聞かれたりしていますが、記者会見を見る限り、医学とサイエンスに忠実で、抑制の効いた確実な話をする方だという印象です。

 

彼は感染症の専門家で、祖国エチオピアでも公衆衛生、感染症の予防に目覚ましい功績をあげ、エボラ出血熱対応などでも成果を上げてきたこの道のプロです。

はっきりしたことを言わないという印象もあるかもしれませんが、それはEBMに根ざした医学の話法が原因だと思います。

ブログ管理者は医学英語に関わる仕事をするので馴染みがある話法であり、誠実にわかることを過剰な期待や誤解を持たせないよう話している、と感じます。

 

EBM, Evidence Based Medicine とは、エビデンス(根拠)に基づく医療という意味で、臨床試験など統計的に立証された事実を元にして医学の臨床アプローチを決めることです。

 

Covid19という未知のウイルスが蔓延する混乱の時期にあって、WHOの事務局長の発する一言に世界は注目をし、その一言によって行動を変えていきます。だからこそ、彼の言動はエビデンスに強く縛られています。

 

例えばマスクの予防効果に関して、「状況的に考えてマスクをつけたほうが感染予防に絶対に良いだろう」と私たちは経験的に思いますし、それが正しいのかもしれません。実際、米国CDCではすでにそのような見解を出しています。しかしCovid19のマスクの予防効果は臨床試験で立証されておらず、テドロス事務局長は、ここまでに出た他のウイルスのエビデンスではマスクの予防効果は立証されていないと繰り返す他ありません。じれったいのですが、それが科学に誠実な態度なのです。続けて彼はこうも言います。「このウイルスは未知のウイルスです。世界中で今、臨床試験が行われており、エビデンスを積み上げています。新しい知見が得られるたびに随時我々もガイダンスを更新していきます。」

この厳密に科学的な態度を、一般の批判に動じることなく、毎日の記者会見で貫くことができるテドロス事務局長は大変な胆力の持ち主だなと思います。

 

また老獪な政治家のような一面も見て取れます。各国首長の思惑を逆手にとって資金を集め、脆弱な国々への支援を実行すると決意しているように私には見えます。WHOが中国を賞賛、日本を賞賛、アメリカも賞賛、と色々記事が出ますが記者会見を聞いていると、とにかく各国首長への批判は絶対に口にせずdiplomatic( 外交的)にかわすと決めているようです。

 

日本もWHOにはかなりの金額を寄付しています。今回記事をグーグルで検索したところ、中国の寄付の記事はすぐにヒットするものの、日本の記事がなかなかヒットせず、bingで検索をしたところ探していた3月初旬に行った日本の170億円の寄付を報じる共同通信の記事が上がってきて興味深かったです。

 

参考までに2018年度のWHOの財務報告のリンクをつけておきます。82ページにある各国・団体別の予算分担のグラフが大変興味深いです。各国の義務的分担金以外に、先進国からの自主的な資金援助、そしてビルゲイツ財団などからの多くの寄付がなければ回らない台所事情が見て取れます。分担金や寄付が相対的に少ない国々のことも、今回のCOvid19の対応において、非常に高く評価するコメントをしています。

 

記者会見の彼の言葉を英語で聞く中で私が受ける印象は、危機における社会的弱者の状況をデータとしてではなく、本当に知っている人なのだな、ということです。先日の記者会見のリンクをつけておきます。ゆっくりとお話になるので、興味がある方は聞いてみ見てください。長いですが、特に質疑応答の部分で少し違った印象をお持ちになることでしょう。

 

最後にWHO本部でよく言われているという英語表現を。

 

"Damned if you do, damned if you don't."  分かりやすく意訳すれば「やるも地獄、やらぬも地獄」くらいでしょうか。

 

未知のウイルスへの対応は、早く動けば過剰反応、遅いと過小評価と、どちらにしても叩かれる、とのこと。それも織り込んだ上で、淡々と専門知識を用いて仕事をしておられるWHOの職員、また最前線で患者の命を救っている世界中の医療従事者の方々に最大限の敬意を表したいと思います。