今日はオーストラリアで最も著名な作家の一人、Tim Wintonの "Breath" を紹介します。
最近、映画化されたようで見たオーストラリアの方から素晴らしかったと聞いたのですが、どうも日本で公開される予定がないので、原作を買って読んでみました。最初はオーストラリア英語や若者の独特の言葉遣いに一苦労。父親をOld Man, 母親をOld Girlなどというので、???と思っていましたが、日本語で両親を「うちのおっさん」だとか、「おばはん」という感覚なのでしょう。後半に進むにつれ、主人公であり語り手の少年 Bruce Pikeの言葉も成熟していき一気に引き込まれました。
タイプ的にはスティーブン・キングの「スタンドバイミー」的な少年の"coming of age "(成長物語)ですが、独特の文体でスタンドバイミーとは少し趣が違います。
まず、文章からオーストラリアの気分というか、自然や人の生活のムードが本当によく伝わってくるということ。サーフィンを通しての少年の青春と成長を描いていますが、海が生活の近くにあること、オーストラリアの独特の動植物や気候、人々の気性がもたらす空気感がすーっと伝わる書きぶりで、読んでいるとオーストラリアにいるような感覚を覚えました。
また壊れた大人や人間のありようを、突き放すでもなく悲劇的になるでもなく人生の残酷さや哀しみとして淡々と描いていきます。それでいて絶望的ではなく控えめな希望を感じさせる、奇妙に詩的な味わいのある小説でした。
オーストラリアの映画とも共通するのですが、いつもちょっと距離をとって自分を見つめる眼差しがあるのがオーストラリアの文芸の特徴であるような気がします。それは、自分たちの国を" Down Under"(「下の方」南半球にあるので、北半球から見て下という意味)と揶揄的に捉える自意識が関係しているのかもしれません。
イギリスは"Great Britain" と自国を言うし、アメリカも再びアメリカを偉大な国へ、と言うくらいですから、自分たちがグレートなんだという自意識から世界を見ています。自分たちからみて、世界を「中東」「極東」というように言及するわけで、自分を中心に据えたものの見方をする。オーストラリアはそのあたりの自意識が少し違うので、世界の捉え方も違っていて、それが表現に現れているような気がします。
映画化をしたのは、オーストラリア人の俳優、サイモン・ベイカー。メンタリストというドラマでご存知の方も多いでしょう。この映画についてのインタビュー画像を見つけたので貼っておきます。とても知的な語り口と、飾らないオーストラリア英語がチャーミングです。
駐日オーストラリア大使館と豪日交流基金が支援し、2012年からオーストラリア現代文学傑作選シリーズというのが現代企画室から出版されており、ブレスも翻訳版が出ています。よかったら、秋の夜長の読書にいかがですか?